2016年8月10日水曜日

高校時代の苦い思い出


高校時代に、同じクラスの同級生が、ふざけて私の通知表をとろうとしたことがありました。その人は私の成績がどのくらいなのかを知りたかったのかもしれません。

彼は手をのばして、私の通知表をとろうとしました。私は、通知表をとられないように、しっかりと自分の通知表を持っていたのだと思います。

よく覚えていませんが、ふたりで、通知表を取り合いになったと思います。その時は私は「やめろよー」というような感じで、まだ笑っていたと思います。相手も笑っていたと思うし、本気でとろうとしていたわけではなくて、冗談半分だろうと思っていました。

もみ合いになっているうちに、なんと通知表が破けてしまいました。破けてふたつになってしまったわけではありませんが、かなり大きく破けてしまったのです。

ふたりの間の笑いは消えて、気まずい雰囲気になりました。私は、相手が当然、「ごめん」と言って謝ってくれるだろうと期待しました。

ところが、彼は、一言も謝罪の言葉を言ってくれませんでした。謝らないまま、やりすごされてしまったのです。気まずい雰囲気のまま「あーあ」という感じでその場は終わってしまったのです。

謝ってもらえなかったことについて、もやもやした感じが残りました。

彼は、頭がよかったので、「こんなやつに謝らなくても大丈夫だろう。」という判断を即座にしたのだろうと、あとになって気づきました。要するに舐められていたのです。なおその人は、後に東大に現役合格しています。

このことはくやしい思いでとして心に残っていました。最近になって、あの時は実はチャンスではなかったのかと気づきました。あの時に怒っておけば、一時的にでも精神的に優位に立てたのではないかということです。勉強でもスポーツでも音楽でも何をやっても彼にはかなわなかった私で、
だからこそバカにされていたのだと思いますが、怒っておけば、一瞬でも精神的に優位にたてたかもしれないということです。

真田幸村の父親で真田昌幸という人は、策略に非常にたけていたと言われます。もし真田昌幸が自分と同じような立場に立ったら、期を逃さずに怒っていたことでしょう。怒りにまかせて怒るというよりは、怒ったほうが得をするという判断に基づいて怒ったことでしょう。

「一言の謝りもないなんて、さすが東大を狙う奴はちょっと違うな。」と嫌味を言う方法もあったかもしれません。


ただし自分自身を振り返って見ると、言うべきことを言えない情けない男です。そもそも勇気がないし、何をやってもたしたことのないろくでなしのくせにプライドだけは高いとかいう理由かもしれません。感謝すべき時にも感謝できないし、謝るべき時にも謝ることができません。あれから数十年たった今でもそうです。そんな自分が他の人に対して、「謝るべきなのに、謝ってくれないのはけしからん」などとという理由で怒る資格なんかないのかもしれません。